2021

睦月 1月

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
昨年はいろいろと厳しい年になりましたが、今年こそは良い年になりますように。

・今日からの暮らし
今月は「今日からの暮らし」(浦和パルコ)という展示会に参加したのですが、思えば昨年は一度も対面での出展をしていなかったので、このような展示会に参加するのは一年以上ぶりとなりました。
とはいえ、緊急事態宣言が発令された中での開催でしたので、果たして宣伝をしていいのだろうかなどいろいろと迷いもありましたが、ふたを開ければ思ったよりもたくさんのお客様に来ていただき、結果、無事に終えることが出来てホッとしました。お客様や関係者の方々には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

・鬼滅の刃 無限列車編
話題の映画を娘と一緒に観てきました。ただ残念なことに娘が小学校で仕入れてくる情報で物語の内容をある程度知った状態で観に行ったのですが、最後、とんでもないことをした敵がまんまと逃げていってしまうことは聞いていなかったので、それには大きなショックを受けました。
そんなわけで無限列車編の続きがどうしても気になってしまうのですが、続きのアニメが始まるのはまだ先の話とのこと。待ちきれず、久方ぶりにコミックというものに手を出してしまいました。鬼滅のコミックは面白かったですが、わりと少年ジャンプの典型的な作品といった印象で、ちょっと生意気ですが数字に表れているほどずば抜けているとは思いませんでした。端的に言えば私はアニメ派で、とにかくこのクオリティーの高いアニメーションが鬼滅の魅力を増大しているように感じました。
アニメーションはどこを切り抜いても隙の無い美しさを持っているのですが、主人公の刀から表れる水の表現もすごく良くて、これは北斎の浮世絵「神奈川沖浪裏」を参考にしたのではないかなぁと思っています。(全然違っていたらすいません。)

 

 

如月 2月

私は芸術の中でもとりわけ音楽に心を動かされることが多いと思います。
今からでは遅いですが、もし生まれ変わったら音楽家、出来ればギターボーカルになりたいですかね。

・弓木英梨乃
先日、YouTubeのあなたにおすすめみたいなのに弓木英梨乃さんというギタリストの動画が出てきて何気なく見てみたら一気に大ファンになってしまいました。
とにかくギターがうまい。最初、弓木さんがカメラ目線の笑顔で軽々と演奏していたから、一緒に見ていた娘とエアーっぽいねぇなんて言っていたのですが、しばらく見ていると指と音はちゃんとシンクロしていて、確かに演奏しているではないですか。気になって彼女のことを調べてみたら、うちにCDもあってよく聴いていたキリンジのギタリストでした。ただ、弓木さんが加入したのは新体制になった2013年からだったので全く知らなかったわけです。もう少し調べてみると、私の好きな土岐麻子、吉澤嘉代子、カノエラナのサポートもしているようで、私にはまるのも納得というわけでした。

・チック・コリア
今月、偉大なジャズピアニストのチック・コリアさんがお亡くなりになりました。それなりにお歳ではありましたが、大好きなアーティストが亡くなってしまうのはショックなものです。
だいぶ前になりますが、ブルーノートで観たチック・コリアのコンサートは、私の観てきたコンサートベスト3に入るほど強く印象に残っています。それはフラメンコダンサーとの共演で、5歩進めば彼に触れるほど間近で観た、それはそれは最高で忘れられないコンサートでした。

・フラワーカンパニーズ
YouTubeの人気チャンネル「THE FIRST TAKE」、いわゆる今時の人が歌っているチャンネルだと思っていたら、今時の人は知らないであろうフラワーカンパニーズが出ていて感激してしまいました。このキャスティングを考えた人は素晴らしい。
フラカンの歌はなかなかキャッチーで私の子どもたちも一緒になって口ずさんでくれるのですが、独特な暑苦しさ(もちろん良い意味の)があって、しばらく聴いていると「そろそろ違うのに変えない?」と言われるのがおじさんの私は内心おもしろくて仕方ありません。

・ダフト・パンク
解散するようですね。ダフト・パンクには夜の高速道路、私の眠気覚ましとして大変お世話になりました。

音楽で気になることは他にも山ほどあるのですが、それはまた別の機会に。何かと音楽のことが気になる2月でした。

 

 

弥生 3月

浜松の旅 備忘録
春休みに浜松に遊びに行きました。訪れた場所の感想を簡単に書いてみたいと思います。


・中田島砂丘
砂丘と言えば鳥取砂丘。鳥取以外はたいしたことないだろうと思って行ってみたらその広さにびっくりしてしまいました。砂丘の定義は難しいらしいのですが、日本三大砂丘の一つに数えられることが多い砂丘のようです。文字通りの砂の丘になった部分を登るのはなかなか大変で靴の中も砂だらけになりましたが、良い思い出になりました。

・スズキ歴史館
なんと100年以上も歴史があるスズキの歩みが展示された施設。知らなかったのですが、スズキもトヨタと同様に織機メーカーとしてスタートしていました。「小さなクルマ、大きな未来。」のスローガンの通り、企業の精神やコンセプトがはっきりしていて、規模は大きく違いますが、私の物作りの参考になることだらけでとても勉強になりました。見学のお土産にミニカー(クロスビー)がもらえて嬉しかったです。(写真のミニカーはジムニー、こちらは有料)

・うなぎパイファクトリー
かの有名なうなぎパイの工場を見学しました。オートメーション化の進んだ工場といった印象でしたが、生地づくりはベテランの職人さんの手作業だったところが意外でした。やはり人間の手が勝ることもあるのですね。陶芸もずっとそうあり続けてほしいと思いました。見学のお土産には小さなうなぎパイ型のピック(つまようじ)をいただきました。見た目が結構リアルでこちらも嬉しかったです。

・浜松城
桜がとてもきれいでした。一見、無造作に積み上げられている「野面積み」と呼ばれる石垣がなかなかワイルドで興味深かったです。これで大きな天守閣の重量を支えているとは思えないような見た目で少々不安に思えるのですが、実は堅固な構造なんだそうです。


・ヤマハ イノベーションロード
敷地内の横断歩道がピアノの鍵盤の形になっていたり、アルコール消毒の手で押すところがピアノの鍵盤、足で踏むところがペダルになっているそのセンスがたまらなかったです。ヤマハの楽器がいろいろ試せるようになっていて、私は先月の雑記で書いた弓木英梨乃さんの動画に登場するアンプなどを自由に使うことが出来て感激しました。本当に楽器が好きな人には一日あっても足りない施設だと思います。見学のお土産に、アコースティックギターに使われている木材で作られたキーホルダーをいただき、これまた嬉しかったです。

・さわやか
静岡に来たらよく行くご当地ファミレス、味も雰囲気もお気に入りのお店です。今回は子どもたちの熱烈なリクエストで、なんと二日連続でランチしました。もちろん大人の私たちも大満足でした。

 

 

卯月 4月

先月に続き春休みのお話です。
以前、映像で目にしたことがありずっと気になっていた自動演奏楽器が奏でる音を一度体感したくて、それらの楽器を多く所蔵している、河口湖の「音楽と森の美術館」に行ってきました。

こちらの目玉は世界最大級のダンスオルガン(1920年頃ベルギー製)と言っていいと思います。大きさは、高さ5mで幅13m。この美術館を作った方がヨーロッパで探し出し、長い時間を掛けて修理をしてもらい日本に運んできたものだそうで、まずその熱意に恐れ入りました。演奏はというと正直、機械っぽさはありますが、100年前によくこれ程のものを作ったなという驚きと、約800本あるというパイプが奏でる大音量の驚きがあり、目をつむるとまるで楽団がすぐそばにいるかのようで、音色も美しくとても感動的でした。

他にも珍しくて貴重そうな自動演奏の楽器がたくさんありましたが、中でも聴いてみたかった自動バイオリン(1918年ドイツ製)の演奏が聴けたのが大きな収穫でした。バイオリン三挺が上下逆さに演奏機械の中に配されているのですが、それぞれのバイオリンは一弦ずつ音を担当し、三挺で三弦分の音を作っているそうで、その仕組みがとても興味深かったです。(*本来バイオリンは四弦)

ダンスオルガンのホールと、毎回、違う楽器の演奏を聴かせてくれるコンサートホールを行ったり来たりして何曲も異なる演奏を満喫し、時間が許すなら一日中居たいぐらいでした。
コレクションも秀逸で、「自動演奏楽器博物館」とかお堅い名前の方が合っているのではないかと思ってしまうほどなのですが、おそらく私立で観光地ということを踏まえると、今ぐらいの名前がちょうど良いのかな?と余計なことを考えてしまいました。

自動演奏楽器については写真が無いとなかなか説明しづらいにもかかわらず、撮っていたのは気付いたら子どもの写真ばかりで、楽器の写真がほとんどありませんでした。そんなわけで今月の写真は秩父、羊山公園で撮った桜です。

 

 

皐月 5月

・LOVE SUPREME JAZZ FESTIVAL JAPAN 2021
よく遊びに行く秩父ミューズパークにフェスがやってくる!家族で観に行こう!とチケットを取り楽しみにしていましたが、昨今の状況により中止になってしまいました。特に後半、WONK → Nulbarich → SOIL&"PINP"SESSIONSというたまらないラインナップをとても楽しみにしていたので残念至極です。しかし関係者の方々には本当に気の毒に思います。グッズその他いろいろ準備してきてチケット収入は無し。ゼロならまだしもきっと大きくマイナスではないでしょうか。このエンタメ業界の苦境には本当に心が痛くなります。早く安心してコンサートが楽しめるようになって欲しいと切に願います。

・田村正和
昨年の雑記で記したように、私は学生時代にある写真事務所に出入りをしていました。その時、田村さんが出演するドコモの「ケータイ家族物語」というムービーのお仕事に下っ端の下っ端として参加させていただきました。監督は市川準氏。市川さんは笑顔が印象的で素敵な大人でした。田村正和さんもそれはそれは素敵な大人でしたが、なんだか別世界の人のような存在で、プライベートな会話を耳にした記憶はありません。私からしたら一方的な接点でしかないのですが、お亡くなりになってとても寂しく思いました。

・秀島史香
最近のスマホ業界の改編に乗って私も買い替えをしました。そこで古いスマホをラジコ専用にしてみたことから、タイムフリー機能でFm yokohamaの秀島史香さんに久し振りに再会しました。いやぁ秀島さん、安定感が抜群ですね。私の波長にしっくりきます。別の局で平日夕方を担当していた頃は正直、秀島さんの起用方法に疑問を感じていたのですが、今は本領発揮している印象があります。10年以上前のこと、その平日夕方の番組で私の妻の投稿が秀島さんに読まれたことがあるのですが、軽くアレンジされたうえに絶妙な秀島節で面白さが1.5倍増しぐらいになっていて、さすがプロだなあと思った記憶があります。

・写真は春休みに訪れた浜松の中田島砂丘です。

 

 

水無月 6月

梅雨時なのになぜか水の無い月、水無月。雨が長かった昨年に比べると今年の梅雨は過ごしやすかったように思います。そんな梅雨の合間に、以前から気になっていた古墳を見に行ってきました。

意外と知られていないかもしれませんが、埼玉県にもいくつか古墳があって、なかでも行田市の埼玉(さきたま)古墳群は国の特別史跡になっています。その構成は前方後円墳8基、大型円墳1基、いくつかの小円墳跡でなかなかのスケール感。作られたのは5世紀後半から7世紀中頃で、その間には仏教伝来(538)、聖徳太子が摂政に(593)、遣隋使が送られる(607)などの出来事がありました。
ここでは埼玉古墳群の発掘状況だけに焦点を当ててまとめてみました。

1 稲荷山古墳(5世紀後半) 剣や副葬品が出土、多くが国宝に指定
2 丸墓山古墳(6世紀初頭) 埋葬施設など詳細は分かっていない
3 二子山古墳(6世紀前半) 埋葬施設は未調査
4 瓦塚古墳(6世紀前半) 埋葬施設は未調査
5 奥の山古墳(6世紀前半) 埋葬施設を地中レーダー探査、2基の箱形石棺?
6 愛宕山古墳(6世紀中頃) 埋葬施設は未調査
7 将軍山古墳(6世紀中頃) 1894年(明治27) 地元住民によって発掘
8 鉄砲山古墳(6世紀後半) 石室が盗掘を受けている可能性
9 中の山古墳(6世紀末~7世紀初頭) 埋葬施設は未調査

こうして見るとまだ未調査の部分が多く、もしかするとこれから大発見の可能性もあるのではないかと思うとワクワクしてしまいます。しかしお墓であるということなど様々な事情があるでしょうから、発掘はしてほしいけどそれは申し訳ないような複雑な気持ちがあります。

あと興味深いのはこれらの古墳がその後たどった歴史。例えば1590年、秀吉の関東平定の際、石田三成は忍城水攻めの計画を高さが17.2メートルもある丸墓山古墳の上で練ったかもしれないと言われていて、忍城含め辺りが一望出来るその地理的条件や、古墳からも実際に水攻めの堤が延びていることから私もその可能性はかなり高いのではないかと思いました。
また、鉄砲山古墳は幕末に忍藩の砲術訓練所として利用されていたそうです。罰当たりな感じもしますが(そもそも古墳といった認識はあったのでしょうか?)、きっと的にしやすいなど訓練に都合の良い場所だったのでしょう。ちなみに鉄砲山の名前の由来もここから来ています。

いろいろな想像を掻き立ててくれる埼玉古墳群、散歩するだけでもおすすめの場所です。
(写真は古墳群で一番大きい二子山古墳)

 

 

文月 7月

遠藤周作の小説「沈黙」は大傑作だと思います。

昨年1月の雑記に書いたのですが、マーティン・スコセッシ監督の映画「沈黙」を観た後に、篠田正浩監督が1971年に撮った「沈黙」が存在することを知りました。そして最近、篠田監督版がネットでレンタル出来ることを知ったので早速鑑賞しました。
ここからは「沈黙」を読んでいないと分からないレビュー的な文章になると思いますが、小説の細かい内容については割愛させていただきます。

篠田監督の「沈黙」はオープンセット、ロケーション、衣装、小道具など細かいところまで妥協が無く、壮大な映像が素晴らしかったです。スタッフも豪華で、カメラは溝口健二監督の作品などで有名な宮川一夫。構図が素晴らしく、完璧なカメラワークだと思いました。音楽は武満徹。時折不安定な旋律が効果的に流れ、観る者の心拍数は上がります。

しかし残念ながら「なぜ?」と思う点がいくつかありました。
映画の前半はとても良かったのですが、中盤、キチジローがロドリゴのことを密告して得たお金で長崎の花街に行くという原作には無いエピソードから「あれ?」と思い、その後の話の流れもちょっとオリジナル感が強すぎるかなと思いました。決して原作に忠実であるべきだとは思っていませんが、ちょっとスピンオフを観ているような唐突感があって正直私は困惑してしまいました。

あと、ロドリゴの師であるフェレイラ神父を演じているのが厚いメイクをした丹波哲郎で、これは違和感が大きかったです。もしかしたらポルトガル人っぽい適役が見つからず、苦肉の策だったのかもしれません。
また、ロドリゴが少々ヒステリックな点、日本語と英語が統一感無く交錯する場面が見受けられたのも気になりました。

「沈黙」ではロドリゴが棄教するまでの心の葛藤、そして神の沈黙についてがとても重要だと私は思っているのですが、そこの描写があまり見られないまま、かなり突飛な終わり方をしたので(エンディングのネタバレは控えておきます)、脚本、台詞で参加していた遠藤周作自身の意図はどういうところにあったのかがすごく気になってしまいました。

後日、当時の映画パンフレットを取り寄せてみるとこのような遠藤周作の文が載っていました。
「この映画の前半は私の娘のイメージであり、後半は篠田氏の血液がこいい。」(このパンフレットで遠藤周作は原作のことを娘に例えている)
「非常に感心すると共に、篠田氏にラストをカットしてくれと注文をつけた。篠田氏はイヤだと言った。」
なるほど、これはあくまでも篠田監督の作品なんだということが分かりました。

なんだか良くないと思った点ばかり挙げてしまいましたが、それは原作への思い入れが強いためだということでお許し願えればと思います。「沈黙」が好きな方は是非、篠田版、スコセッシ版、両方の映画を観ていただけたら楽しめると思います。
(写真は文学つながりで角川武蔵野ミュージアムの本棚劇場です。近隣にこのような場所が出来て嬉しい!)

 

 

葉月 8月

今年も何かと制限の多い夏となってしまいましたが、なるべく近場で少しだけ夏気分を味わってきました。そんな思い出のひとつ、長瀞での小さなひとコマがなんだか強く心に残りました。

長瀞の名物と言ってもいい天然氷のかき氷のお店でのこと、6歳の息子に何にする?と聞くと「コーラ!」、え?せっかくの天然氷のかき氷なんだからフルーツ系とかにしようよと誘導したけれどもやっぱり息子は「コーラ!」。内心もったいないなあなんて思っていましたが、息子がとても美味しそうに食べている姿を見て「コーラで良かった!」と心から思ったのと同時に、自分の嫌な親のエゴが見えた瞬間でもありました。あまりにも息子が美味しそうに食べるものですから私も少し分けてもらうと、それはそれは最高に美味しいコーラのかき氷でした。

話は変わりましてオリンピック。賛否両論ありましたが、とりあえず無事終了して良かったと思います。
オリンピックといえば私は「いだてん」というドラマがとても好きでした。
1964年の東京オリンピックに至るまでの歴史が事細かにリサーチされていて、実在の人物に少し架空の人物を交え、物語の随所に伏線を張って、それを見事に回収、感動もユーモアもある非常に良く出来たドラマで、宮藤官九郎、クドカンの最高傑作だと思います。 とにかく心打たれるシーンがあり過ぎてここでは書ききれないので、印象に残った回を二つだけ紹介したいと思います。

1912年、日本が初出場したストックホルム大会。金栗四三と三島弥彦、たった二人のオリンピック。短距離で日本では負け知らずの三島さんも世界では惨敗。マラソンの金栗さんは日射病で途中棄権。(しかしその55年後、金栗さんはストックホルムのスタジアムに招待されてゴールテープを切ります!)
二人とも結果は残せなかったけど、それは大きな大きな第一歩でした。先人の苦労のおかげで私たちは今を生きていることを実感します。

1928年、人見絹枝のアムステルダム大会も感動の回でした。
確かこれが初演技の菅原小春が人見絹枝を熱演。女性が運動をすることすら珍しい時代、専門の短距離で結果が残せず手ぶらで帰れぬと800メートルにも出場して死に物狂いで走り銀メダルを獲得。
帰国後、シベリアというお菓子を美味しそうにほおばるシーンが印象的で、その時初めてシベリアを知った私は後日、ドラマの人見さんの影響で初シベリアを美味しくいただきました。

このドラマでは「こんな時だからこそオリンピック!」という台詞がところどころで出てきます。クドカン、TOKYO 2020 に関して何かの予言をしていたの?と思ってしまいますが、考えてみれば人類はピンチの連続をくぐり抜けてきているわけです。

現在の国立競技場はかつて明治神宮外苑競技場といい、戦時中はそこで学徒出陣が行われ、多くの若者が戦場に向かいました。そのような場所で平和の祭典が行われることは意義深いことですし、世界中が平和であって欲しいと心から思います。
 

 

長月 9月

コロナ禍の影響もあって10歳の娘がタブレットを使いこなすようになり、知らぬ間に私が書くこの雑記の読者になっていました。先日、そんな娘からこんな一言が。
「次は渋沢平九郎のことでも書けば?」
そのアイデア、いただきました。

巷では渋沢栄一の話題が多い年になっていますが、私の住む埼玉県飯能周辺エリアでは面白い現象が起きていて、どちらかというと栄一よりも見立養子であり義理の弟、渋沢平九郎で街が盛り上がっています。
商店街や市の博物館には平九郎の旗やのぼりが見られ、お店ではラベルに平九郎の姿が描かれたお酒を見掛けたりするほどです。

1867年、渋沢栄一は幕臣としてパリに渡るのですが、当時の渡欧は何があるか分からないので、家の跡継ぎをきちんと決めてから出発するのが普通だったようで、栄一は妻、千代の弟、尾高平九郎を渋沢家の養子に迎えます。しかしここが大きな運命の分かれ道でした。地元で平穏に暮らしていた平九郎はその流れで幕臣になるのですが世の中は激動し、大政奉還があって幕府軍と新政府軍の戊辰戦争が勃発。上野の戦争の後に飯能でも戦争が起こり、平九郎はこの飯能戦争で幕府側の一人として戦いました。

振武軍と呼ばれた幕府側は一日ももたず敗北し散り散りに敗走。平九郎は仲間とはぐれてしまい、たった一人、生まれ育った現在の深谷に向けて敗走中に新政府側に見つかってしまい、追い詰められて自決します。飯能で共に戦った平九郎の兄、尾高惇忠と栄一の従兄弟、成一郎は逃げ切って、後に惇忠は富岡製糸場の初代場長となり、成一郎は大蔵省に出仕していることを考えると、平九郎は不運だったのかもしれません。そのような平九郎にとても興味があったので、先日、渋沢平九郎が人生の最後にたどった道を訪れてみました。

まず飯能戦争の舞台、能仁寺→敗走の途中に立ち寄った現在の平九郎茶屋→平九郎が自決した地→最後に平九郎の墓と巡ってきました。対向車が来たら嫌だなあと思うような細い山道を車で行くのですが、きっと当時は比べものにもならないぐらい険しく、たった一人で逃げるのは怖かっただろうし、相当心細かっただろうと思います。結局、平九郎は栄一たちのように何かを成し遂げることもなく22歳の若さで散ってしまい、さぞかし無念だっただろうなあと思いましたし、その人生を想像すると切なくなりました。

失礼ながら歴史的には無名かもしれない平九郎がなぜ忘れられなかったかというと、平九郎の記録や演劇まで残した栄一の行動も大きいと思いますが、写真に残っている平九郎がとてもかっこいい!というのが一番の理由だと思います。時代が100年以上後だったら二枚目俳優として活躍していてもおかしくありません。土方歳三にも負けない渋沢平九郎の姿、知らない方にも是非見ていただきたいです。これからさらに人気が出るかもしれません。

写真は平九郎ファンも訪れる平九郎茶屋。
飯能市立博物館では10年前の特別展「飯能戦争 飯能炎上」の図録を復刊していて、そちらも読み応えがあっておすすめです。

 

 

神無月 10月

映画評論家、ジャーナリストの町山智浩さんが紹介する映画はどれも面白そうで、つい観たくなってしまいます。町山さんは映画の表面的なことよりは内面的な話、例えば社会的背景や文化的背景など、他の評論家とは違う視点で映画を解説してくれるから、その映画にものすごく興味をそそられます。しかしずっと町山さんが紹介する映画を観られていなかったので、町山さんの著書から一本選んで観てみようと思いました。

今回、私が選んだ映画はジム・ジャームッシュ監督の「パターソン」。理由は至って単純。監督や主演のアダム・ドライバーが有名。そして日本から永瀬正敏が出ているからです。ちなみに怒られそうな余談ですが、私はアダム・ドライバーっぽいと言われたことがあって、実は勝手に親近感を抱いています。多分、ひょろっとしたところが似ているのでしょう。

「パターソン」はアメリカに実際にある町、パターソンに住むバスの運転手、パターソンの一週間を描いた映画です。パターソンの起きる、食べる、働く、寝るといった日常が淡々と描かれていて、その主人公は毎日、詩を書き留めています。この映画、ただ普通に観ると「雰囲気映画」といった印象なのですが、映画の後に町山さんの文章を読むと、なるほどなるほど、と理解することがたくさんあってとても面白いのです。

まずこの映画はW・C・ウィリアムズの「パタソン」という長編詩が基になっていて、その詩の内容を登場人物、会話、映像などで表現しているということです。また、この映画では「パーソニズム」というものがキーワードになっているようで、「パーソニズム」とは不特定多数の人に向けた創作ではなく、個人的、またはある特定の人に向けられた創作のことを言うそうです。「パターソン」では主人公が出会う人々との会話から様々なパーソニズム芸術の詩人、つまり生前は自己完結の創作をしていて、死後有名になった詩人の名前が出てきます。町山さんの著書からそれらの人物の名前を抜き出してみました。

・ポール・ローレンス・ダンバー(南北戦争の頃、黒人奴隷の子として生まれる。ラップの元祖といわれる詩人)主人公がコインランドリーでラップの練習をしている黒人に出会い、彼は自分のことをポール・ローレンス・ダンバーと呼んでいる。

・エミリー・ディキンソン(1830-1886/生前の発表はほとんど無かったが、今ではアメリカ最高の詩人の一人)主人公が出会う少女の好きな詩人

・フランチェスコ・ペトラルカ(14世紀のイタリア、聖職者の書記)主人公の妻ローラの名前が、ペトラルカの恋愛詩から来ている。

・フランク・オハラ(1926-1966/ニューヨーク近代美術館の学芸員)主人公がオハラの詩集をいつも持ち歩いている。ちなみにオハラはW・C・ウィリアムズから影響を受けている。

映画の最後、永瀬正敏がW・C・ウィリアムズの「パタソン」巡礼をしている日本人として登場し、主人公パターソンと会話するのですが、そこで話題になるのが画家のジャン・デュビュッフェ。デュビュッフェは精神病院の患者たちが純粋に自分のために描いた絵をコレクションしていたそうで、これもパーソニズムにつながってきます。永瀬正敏が演じる日本人も誰に見せるわけでもなく詩を書いているので、これも同じことが言えます。至るところパーソニズムの要素に溢れていて、ジム・ジャームッシュ監督自身もフランク・オハラの「パーソニズム宣言」というのに影響を受けているそうです。

面白いエピソードがあって、「パーソニズム宣言」に影響を受けたジム・ジャームッシュはそのことをベルナルド・ベルトルッチに話したら「そんな芸術は一握りのインテリやエリートのためのものでしかない」と怒られたそうです。そんなジム・ジャームッシュがなんだか魅力的に感じ、他の作品もいろいろ観てみたいなと思いました。

写真は今月の展示、Coffee Connection vol.6 での一服。

 

 

霜月 11月

最近、いや以前から注目している人のことを今月は書いてみようと思います。

ラジコを利用するようになってから、しょっちゅうマンボウやしろのラジオを聴いています。とにかくマンボウさんと秘書(アシスタント)の浜崎さんのやり取りが夫婦漫才のようでとてもおかしいし、頭を空っぽにして気軽に聴けるのが良いです。しかも毎回、なんか聴いた後味も良いんですよね。マンボウさんのことは同い年の人間としても応援しています。

先月も取り上げた町山智浩さんは物事を深く掘り下げて解説をしてくれるので、とても勉強になることが多いです。町山さんの話で最近「へぇ~」と思ったのは、有名なデューク・エリントンの「A列車で行こう」という曲が、コットンクラブのあるハーレムに地下鉄で行こうよということを歌っていることでした。ハーレムに行くにはニューヨークの地下鉄Aラインを利用するらしく、コットン・クラブのコットンの由来は黒人奴隷の綿摘みから来ているなど、「へぇ~」「ほぅ~」な興味深い話がいろいろ聞けます。

一瞬、目を疑いましたが、杉本博司氏が大河ドラマに数秒間出演していました。台詞は「鎌倉時代の瀬戸の瓶子でございます。」の一言で、杉本博司そのままな感じでした。実はこのドラマの題字も杉本博司氏。初めは同姓同名の書家がいるんだと思っていましたがご本人でした。肩書きもなんて呼んだらいいのか分からない、なんて多才な人なのでしょうか。

新庄新監督、いいですねぇ。この話題で私の頭に浮かぶのは、くるりの楽曲「野球」。この歌の最後はなんと「SHINJO SHINJO SHINJO」で締めくくることからも、新庄のスター性を感じます。

横浜の根岸森林公園でピクニックをしてきました。写真は公園内にある昭和の初めに建築された競馬場の観客席跡。現在は米軍の敷地内にあるため裏側しか見えません。いつか観客席側も見てみたい!